ザ・ダイバー

先日、野田秀樹作・演出の『ザ・ダイバー』を観てきました。
友達の舞台は観に行きますが、他ともなると一度、『アルジャーノンに花束を』を観たっきりです。手に入れられるかも分からない1000円の当日券を求めて、ふらっと軽い気持ちで池袋の街に降り立ちました。すでにできていた列の後ろに並び、どこか現実感のないまま座り待っていたら、野田秀樹の世界を体感するに至りました。広場ではアコーディオンとバイオリンの音が聞こえてきます。素敵な日曜日のなかに自分がいました。


公演が終わり外に出ると、日はもう随分と傾いていました。
一千年と一年目ということなんだろう、と思いました。ロンドンで上演されたあとの日本バージョンが今作とあって、もともとはイギリスの役者さんたちが『源氏物語』に純粋に興味を持って触れてみたのだろうと思います。

近頃の僕には、どうも源氏物語という存在がそこまで遠いところにあるようには思えなかったりします。日頃乱雑に何かに触れていても、結局色々と辿っていったり遡っていけば源氏物語に辿り着いてしまうことが多いのです。高校の頃の教材としても触れますし、漫画で触れたことのある人も案外多いかと思います。源氏物語に感動した文豪たちの小説などから知らず知らずのうちに間接的に触れていることもあると思います。色々な人が触れてきたにも関わらずつまらないという話はあまり聞いたことはなく、皆が面白いと言うから驚きです。

『ザ・ダイバー』はポスターを見てもパンフレットを見ても「魂」という言葉が踊っています。「魂」という言葉を聞くと、小林秀雄の講演のなかで触れられていた柳田国男の話にとても感動したことを思い出します。ただ、僕自身が特別何かを感じたり、伝えられたりするようなことはありません。何も言えることはなくても、源氏物語が書かれた頃の生活と、今の時代の僕らの生活との結びつきを、人それぞれが自分なりに感じられていれば、そのことだけでも十分なことのように思われます。僕も『ザ・ダイバー』の世界の下敷きとなっている『葵の巻』までは読んでみようと思います。『葵の巻』は『源氏物語』の中でも序盤の話ですし。


今まであまり触れたことがなかった舞台という世界は、音楽や文学などとはまた違った異様さを感じました。人前に露出することを仕事としたり、一芸に秀でている人はどこか普通じゃないところを持っているのでしょうが、僕には特別奇妙な人たちに映ったのでした。