ヴィンセント、ヴィンセント

広島でゴッホ展を見る。地方都市で、ゴッホを見るというのは悪くない気がした。東京の美術館であれば、初期の作品から晩年の作品までが、もう少しは揃っていて、生涯を想像することが出来たかも知れないが。
ひねくれていて、くすぶったまま、大都会でも花開くことなく、パリを後にする。しかし、その後のアルルでの作品には、自分を取り戻し、さらにその先の、独自の世界が描かれていたように思えて。
空白のパリ。弟テオとの同居生活のために、書簡が残されていない空白の期間。今一度、自分が宿ったときに完成されるために、人知れずくすぶっていた期間だったのかもしれない。