目玉焼きって言いますものね

近頃は、高松でひっそりと暮らしていたのですが、その間に、ジョルジュ・バタイユ眼球譚』(河出文庫)を読みました。こういった本を、20代の、とても品のよい、インテリなお姉さま方が、大真面目に読んで語り合ったりするなんて、なんてステキな世界だろう、と半ば夢想まじりに菊地成孔のHPを眺めながら、自分も手に取って読んでみたわけですが、バタイユと聞いて思わず身構えてしまうような難さは見当たらず、僕にとっては想像以上にただのポルノでした。グッとこない、そして、やけに胸焼けばかりしているような。こんな調子で最後まで読んでいくと、あまりに痛快に、それまで積み上がってきたものが、ガラガラと崩れていくのです。
作中では、若い男女が頻繁に玉子(これが眼球なのであって)を使って色んな遊びをするのですが、その度に、大島渚愛のコリーダ』の玉子遊びのシーンが思い出されました。もともと「コリーダ」とはスペイン語で闘牛を意味するんですって。『眼球譚』の中でも闘牛の場面は大事に思われたのですが、きっと、大島渚バタイユを愛読していたのでしょう。今頃になって、『愛のコリーダ』がフランス人に評価されているのが、うなずける気がしました。
こんな無茶苦茶な作品を書いたバタイユという人は一方で、国立国会図書館の副館長を務め、落ち着いた物腰が印象の洗練された教養人だったそうです。人間のもつ二面性というものには本当に驚かされますね。


今日の一曲 菊地成孔 / 京マチ子の夜



眼球譚(初稿) (河出文庫)

眼球譚(初稿) (河出文庫)