音楽との関わり、いろいろ

僕は、このいまの時代を生きていてよかったな、と強く感じることがある。でも、例えばビートルズがどんなに好きだからと言ってリアルタイムで彼らの作り出す音楽に次々触れながら、彼らの生きる60年代を共に生きたかったとか、そんな気持ちは案外湧かなかったりする。
父親の持っているレコードやCDを眺めてみても、80年代の音楽なんて終わってるって思ったり、ベスト盤とかボックスセットにどうも抵抗がある僕なんかは、やっぱりその時の子(今の子はもっと若い子のことを指すのだと思うので)として刷り込まれてしまったものが多いんだと思う。けれど、素晴らしい音楽がたくさん生まれた60年代(まぁ何時代でもいいんだけど)が、それほど特別いい時代だったか、っていうとそうでもないってことも、なんとなくだけど知ってる。
昔は、ずっと自分の周りには自然と音楽に満たされていて、時間からは切り離されているような場所で、音楽というか音そのものに興味があり、一つずつに耳をすませ、音の中に身を潜ませているのが心地よかった。たしかに、今でもこの作業はとても純粋で徹底されていたように自分では思える。でも、周りで音楽が満たされていなくなった今の自分にはこのような方法では、どこかしっくりせず、以前のようには音楽が流れてこない。皮肉なことにiPodの中は音楽で溢れているのに。音楽が好きだな、という実感が近頃増してきた気がするのだが、音楽に対して何か新しい関わりのようなものを求めている気がしてならない。自分にとって身近なところを探ってみても、懐かしさをのぞいて、生まれてからすぐにたくさん触れることとなった音楽である、小田和正米米チャゲアスZARDってどれだけ素晴らしいんだろう。メロディアスの感覚っていう狭い意味でなくて。
90年代もとっくに過ぎて、もう新しい10年も随分といい時期なっているけれど、どんな風にまとめることができるのだろう。今までのように、〜年代なんて風に括ることは、もうあまり価値がないのかもしれない。大体、言いづらい。


今日の一曲 井上陽水 / 白い一日