クロと黒

火曜日の話。友人と東京地方裁判所で初めて裁判を傍聴した。裁判所内では村上世彰の裁判が行われていたり、阿曽山大噴火とエレベーター前で遭遇したりと、裁判所という普段とは少し違った場所での日常を早速垣間見ることができた。朝一番に傍聴したものは、強制わいせつ罪で起訴された裁判。僕自身も裁判を傍聴するのは初めてだったが、社会見学で訪れた高校生らも初めてだったらしく緊張した面持ちで静かに椅子に座っていた。
被告人は40代後半の男性で妻と子供2人がいる。12月初めの朝8時過ぎに小田急線の新百合ヶ丘駅で乗り換え、被害者である女子高校生と出会った被告人は、登戸駅で乗車人数が増えたことをいいことに痴漢を始めたが、成城学園前駅で被害者本人によって駅員に突き出されて今に至ったのだとか。裁判というのは小難しい用語でやりとりされるのかと思っていたが、少なくとも地方裁判所の裁判は誰が傍聴しても理解できると思われる。
犯行の動機としては、初め「ストレスが溜まっていた」、「体力が衰えた」が挙げられたが、聴いていて明らかに直接的な原因としては不十分だと感じた。あくまで本人の「日々感じる不安」の要素ではあって犯行の原因にはならない。結局検察官に「自分の弱さ」に負けたことを追及され、認める結果となった。そして被告人の二人の子供のうち一人は被害者と同じ女子高校生であることも明かされる。こんな展開、聴いていた僕は正直期待していなかった。社会見学をしていた女子高校生はどんな気持ちになっただろうか。とても残念な気分でいっぱいになる。
一時間の裁判の中では、「今回の犯行が計画的」であること、また被告人が「常習犯」であることを自白させようとする検察官の回りくどい質問に最も時間が費やされたが、今回の事件の核心に一番迫っていたのは、最後に裁判官がした質問だったと思う。裁判官は「仕事をやめようと思ったのは自発的か?相手方の両親のことを考慮してのことじゃないのか?」という質問に続けて、「あなたは処罰されればいいかもしれないが、あなたの奥さんとお子さんのことを考えて仕事をやめるのですね?」と少し声を荒げて言った。被告人は(結局、この質問に何も答えられないまま裁判は終わったのだが)、最後まで何が重大なことかを理解していなかったように思える。
裁かれるのは被告人かもしれないが、重大なことを理解していなかったのは僕の目には彼だけでないように映った。その周りにいた人も、その周りの周りも。何が重大なことか、僕らが気付かなくとも日々は経過していく。そして僕らはいつだって「こと」が起こってみないと何も考え出さない。
自分の弱さに気付いている人には不思議と好感が持てたりする。けれど自分の弱さについて口にしている人の話は、内容がどんなに真実味があることであっても、案外胸に響かなかったりする。傍聴席にいた自分はこの心境に似ていた。そして不思議なことに、僕だけではなくてもう一方も響いていない気がした。僕の想像では、裁判所では人の人生の分岐点をもっと目の当たりにする場所かと思っていたが、大きくねじ曲げられてしまうのは多くの場合、被害者側だけなのかもしれない。もちろん環境なら加害者も変わるだろう。だが、分岐点ってやつはきっとそういうものじゃない。
裁判所内でもそうだったが日常の中でも、自分より大人の男性の意志が何かに屈しているところに出くわすと残念になる。僕のその人を見る目は、どこかしら未来の自分を重ねていたりするので。また、その人が感じている不安は、生きていればきっと近いうちに自分にも降り掛かってくるのだろうし。


おまけ
裁判所の帰りに、『鉄コン筋クリート』を観た。気になる人と観に行くくらいが丁度良いのだろうと思っていた通り、バランスが良く保たれた作品だった。娯楽。