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今年も東京デザイナーズウィークに足を運ぶ。今年の学生展のお題は「LOVE」。日本人には「like=好き」という感覚はあっても「love=愛している」という感覚はどうも馴染めなくて、「愛している」なんて言葉を平気で恋人に言える人は自分を騙している胡散臭い人物に違いない、と言っていた哲学教師の話を思い出した。で何が言いたいのかというと、お題が実にひどすぎるということ。
作品を観て回っていると、主に恋人、家族、背中、 膝枕、公園のベンチ、 赤い糸、広がる、伝わる、といったキーワードがあげられ、そこからインスパイアされた作品が多かった。彼らは普段そういったものから「LOVE」というものを感じていて、イメージが構築されているらしい。そこが興味深かったが、面白みがないと言えばそれまでである。
しばらくコンセプトが書かれたカードを読んで回っていると、観念的すぎる作品ばかりに自分が取り囲まれていることに気付く。他人の世界観の中で溺れることがこれほどまでに気持ちが悪いと感じたのは初めてだ。昔、ドキュメント番組の中でユーリー・ノルシュテインが、一人の世界に閉じこもり自己完結させた作品ばかり創ってくる日本の若手クリエイターたちに驚いていた。ノルシュテインが危惧していた通り、日本の学生たちもやはり自らの教養のなさと、一人の世界に閉じこもってしまうあまりに普段生活をしていく中で得られるはずの様々なディテールを捉えきれていないことを露呈してしまっていた。
観察と称して類別ばかりしている人は多いが、事物をいかに有りのまま、素直にとらえることができるかということの方が僕は重要だと思う。 観察して、ディテールを一つずつ感じ取る。また自分の中で無意識のうちに感じていたことを意識的に拾い上げる。この作業は日常の中で大切なことだと思う。