アンドレイはいない。こっそり退場。

先週水道橋のヴィレッジヴァンガードに立ち寄った。文学と呼べそうな本はどこにも積まれていなかった。読書リストのようなものはやたら本屋で見かけるものの、実際のところ何を読んだらいいのかなんてわからない。有名な人の書いた本さえ今では本屋で手に入らなくなっている。そんな今の時代のなかで、『資本論』に強く影響を受けた、と口々に言っていたりする世代の映像を見ると本当に驚いてしまう。
あれは僕らにとって、何だったのだろうか。こんな気持ちが、今多く人のなかを駆け巡っている。確かに世の中が変質していることを肌で感じ、想像もつかない何かが、自分たちの知らないところで動き出していることを予感する。地震が起こり殺人が起こるたびに、そのことを一つ一つ確かめていく。「大きな物語が喪失し、ひとりひとりが小さな物語の中で埋没している」。ちょうど今、書こうとしたこのフレーズが、適切な表現なのかも思い出せなくなった。呪文のようにして反芻させてきたわりに、囁かれた言葉だけが力を持って、僕の周りをくるくると踊りまわっているだけのようにも思えてくる。