模索

北千住で『イッセー尾形太宰治を読む!書く!創る!』を観た。舞台というものを観に行ったのはこれが初めて。この作品は夏目漱石に次ぐ文豪ものの第二弾で、前回と構造はほとんど変わらない。僕自身、太宰治の作品はまだ『斜陽』なんかも読んでいない程度で恥ずかしいのだが、とても有意義な時間を過ごせた。
途中、周りの笑いにつられて笑っているだけの自分に気付く。自分が初めから“笑いたいがためにただ笑いに来ていた”ことを知り、反省した。実際そのような人は多いとは思う。それは構わない。けれど、つくる側に何かしら伝えたいことがあって自分がそれを求めている以上鈍感な見方をしたくはなかった。模索しようとする姿勢は常に持っていたい。
今になって考えてみれば“ただ泣きたいがために泣けそうな映画を見に行く”というのとは別に、“笑うために笑いに行く”ことはそれほど間違ってはいないような気もしてきた。どうかな。
漱石と太宰のどちらが好みかは別にして、作品としては前回の方が徹底されていたかもしれない。ただ着替えの時間が音楽でつながれたことで見る側にはより楽しみやすくなったと思う。そして何より感情の動きなど人のかたちを捕えようとする観察からくるイッセー尾形のディテールには今回も感動させられた。 着替え中の音楽で『SEAMUS』を歌っている外国人がいたので嬉しくなった。


今日の一曲 SEAMUS / PINK FLOYD